私が育ったのは群馬県の太田市。利根川までは車で10分くらいの位置です。埼玉県の熊谷から太田に向かう際、必ず刀水橋という大きな橋を渡ります。昔はこの橋から見渡すと、河川敷に酪農の牛が見られました。
当時はまだ洗車場があまり普及していなかったこともあり、車を大事に乗る父に連れられて、休みの日には河原の水辺付近に車を止め、川の水で車を洗っているのに付き合わされた記憶があります。
小さい頃、何かと悪さをすると父から「利根川に捨ててくるぞ」と言われ、脅しとしても、この川が会話で出ていましたので、正直あまり近寄りがたい川でもありました。
近寄りがたい、という理由は、実はもう一つあり、当時は刀水橋と並行に、下流側に不思議なものがありました。それは鉄道の橋でしたが、レールやガーター橋のない、コンクリート橋脚だけが連立していた光景です。スケールオーバーしているこの物体は、どこか子ども心に恐怖心を覚え、近くに行きたくない、そんな気分でした。
少しずつ大きくなるにつれ、刀水橋を車で通るたび、この上を走るSLの事を思い描いたりしていましたが、随分後になり、ここには一度も列車が通ったことがない、幻の橋であったことが分かりました。
先日ふとこの橋のことを思い出し、実家に帰省する際、今でも土手の内側(陸側)に一つだけ残されている橋脚を見に行きました。怖い橋脚群は40年以上前の記憶でしたが、残されている橋脚を見ると、それ程大きくは感じませんでした。
便利なネットの時代、当時の情報を見てみると、土手と土手の間に実に30脚もの橋脚があったこと、軍事用に鉄道が引かれる予定が終戦を迎え、幻の橋になったこと。昭和54~55年にかけて解体されたことが分かりました。
[熊谷市デジタル博物館]より抜粋
もし現在まで残っていたとすると、結構な観光スポットになったことでしょう。まるでイースター島のモアイ像のようです。
等間隔に並ぶ無機質なコンクリート橋脚は、見る人によって様々なインスピレーションを掻き立てます。
ちょうど一年ほど前に訪れた、北海道糠平(ぬかびら)にある、タウシュベツ橋梁跡。ここでの感覚と、小さい頃見た幻の橋の感覚は、まったくイコールでした。タウシュベツでも怖さを感じました。
役目を終えて、ただ朽ちていく様子に、人は引き付けられます。風化という自然界の現象
記憶の片隅にあった、幻の橋の写真を見つけられて良かったです。ガーター橋を渡るSLの長い貨物列車の姿が目に浮かびます。
2018年5月10日