同潤会江戸川アパートの記憶

かつて東京には、同潤会アパートという集合住宅がありました。

 

建築士の試験勉強をしていると、必ず予想問題として出てくる設問。

「同潤会アパートは戦後復興の際に造られたアパートである」 答えは×

このアパートは、戦後復興ではなく、もう少し前の歴史、関東大震災による住宅不足を補うために造られたアパート、が正解です。

 

今回の写真は、今から25年ほど前、既に他の同潤会アパートの解体が進んでいた頃、1990年代後半だったと思いますが、残っていた中の一つ、東京のど真ん中、飯田橋から10分ほど歩いたところにあった、江戸川アパートの記憶です。

 

当時、モノクロフィルムで撮影し、自ら現像、印画紙にプリントしたものです。保管していたことすら忘れていましたが、先日整理していた際に、偶然見つけました。

 

今回は、その写真から、スキャンしデータ化したものをご紹介します。

 

 

江戸川アパートは、既に多くの部屋が空き部屋になっていました。解体が刻一刻と近づいていたのでしょう。webで調べてみると、昭和9年建築とのこと。この時点ですでに65年ほど経過しています。耐震性のこともあり、時代の流れでしょうか、都会の流れに取り残されたような空間が広がっていました。情報では2003年に取り壊されたようですので、解体5年前くらいの様子になります。

 

 

比較的窓の多い団地の印象です。初期の鉄筋コンクリートの住まい。真ん中には大きな中庭があり、光と風が入りやすそうなプランに思えます。

 

 

エントランスから上を目指します。外部の角ばった印象とは違い、内部や円柱や階段手すりのカーブなど、有機的な仕上げになっていました。

 

 

階段ホールは薄暗く、そのためか、屋上からの光の誘いを感じる雰囲気でした。

 

 

どこだったか覚えていませんが、共用部分にあった洗面台。コンクリートで一体的に作られていて、水返しもあり、繊細なつくりです。

 

 

途中の階から外を見る。鉄製の手すり、伸び縮みする物干し金物、大きな雨どい、風化した外壁、その外壁を住処にするような苔。

決してノスタルジックだけではない、間違いなくここには人がいて、まもなく住まいとしての役目を終えようとする、悠々とした姿でした。

 

 

各棟の中心にあった大きな中庭。この木々を見ても、時間の経過が感じられる姿です。掲示板やベンチ、いかにも集合住宅らしいアイテムも残されていました。

 

 

陽だまりのピロティ。ゴミバケツや自転車や、どなかたの植栽。すでに退去された方のものなのかどうか。

 

 

ここは昔ながらの団地でしたので、外部者も共用部分には入れました。空き部屋が多かったこともあり、撮影していて、住民に会わないことが、少し寂しいというか、なんとも言えない気持ちであったのは今でも覚えています。

 

屋上に向かう途中、向こうの棟を見て、布団があり、そして今まさに干している住民を発見。とてもうれしくなって撮った一枚です。この一枚で、ここは間違いなく集合住宅で、そして、今でも生きている建物なんだ、その「生き物」の中に自分はいるんだ!と、勝手にうれしさと、ほっとした感に包まれた瞬間でした。

 

 

暗い道中とは一転、屋上には東京の大きな空が広がっていました。2つのパイプ椅子。まるで、先ほどまで住民が座っていたのではと思えるように、並んで置かれていました。

 

関東大震災のあとの役目をまもなく終えようとする江戸川アパート。終えてから、ではなく、かろうじてでも、活用されている最中のアパートを見ることができたことは、今思い出しても本当に良かったです。

 

現在ここには、江戸川アパートの雰囲気を残しつつ建てられたマンションがあるようです。

 

 

これから建築士を目指す方へ。 「同潤会アパート ≠ 戦後復興のアパート」 です。

 

 

20220223 仙台発イチゴイチエのいえづくり

 

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